夕暮れのサイトで針葉樹の薪をパカッと割り、夜明け前の薄明かりでバゲットをザクッと切り分ける。その“気持ちいい一刀”を支えるのは、ていねいに研がれた刃である。アウトドアのそばには、いつだって頼れる刃物が寄り添っている。
兵庫県芦屋市のトリミングサロン〈犬の和心〉オーナー、小山豊さんは、犬の被毛を“まっすぐ・なめらか”に仕上げるため、ハサミの切れ味に並外れたこだわりを注ぐトリマーだ。2019年にはブランド〈Hidden Flavor〉を立ち上げ、日本の職人と手を組みながら高品質のトリミングシザーをプロデュースし、「道具を一生モノに育てる術」を探究し続けている。

その原点は阪神・淡路大震災の体験にある。家も物資も乏しいなか、祖母が包丁一本で食材をさばき家族を支えた光景が目に焼き付いた。
「非常時こそ、よく手入れされた刃物が命を守る。あのとき“研がれた刃”がどれほど頼もしかったか」
以来、小山さんは「ひとつの道具を最後まで使い切れる環境」を思い描き、〈高品質シザー〉を世に送り出したのち、ポケットに収まる〈コンパクト砥石〉の開発へと踏み出した。今日のNachu Magazineでは、その小さな砥石に込められた思いと開発ストーリーを紹介する。

刃物を“使い捨て”にしたくない
小山さんが最初に着手したのは、トリマー向けの高品質シザー。サロンで長く働くほど、研がれないまま捨てられていく日本製ハサミを何本も目にしてきた。
「そもそも1〜3万円くらいの海外ハサミは使い捨て前提で、一生使える日本製まで『切れなくなったから』と捨てるなんて、あまりにももったいないと思ったんです。たとえ、分別して処分してもリサイクルされるとは限らないのが現状なので。」

回収されたハサミは自治体の金属ゴミとして処理されるが、粉砕しても再資源化できる工場が近くになければリサイクルは難しい。海外製の成分が不明な合金は“異物”として扱われ、プラスチックのハンドルは焼却か埋立てへ回されるそうだ。
高品質なハサミづくりに没頭するなかで、たくさんの日本の刃物職人と出会った小山さん。ハサミ職人も砥石職人も後継者不足に悩み、技術が途絶えかねないという切実な現状を語っていた。
「日本の職人技はまだ生きているのに、作り手が減ってしまう。何とか力になりたいと思ったんです」

石を粒度ごとに細かく選別し、数字に一切ごまかしを許さない砥石職人。「この人となら一生モノの道具をメンテナンスするための『本当にいい砥石』が作れる」と確信したという。
それまで販路は調理用のみだった砥石だが、トリマーやアウトドアユーザーにも届く新しい砥石を提案すれば、職人の仕事も広がる。こうして、ハサミにも包丁にも使える“可愛くて手に取りやすい砥石”づくりが動き出したのである。
かわいさと機能を両立させる試行錯誤
サロンの定休日、小山さんは作業台に砥石のサンプルをずらりと並べた。従来の長方形の砥石は「可愛げがなく手に取りづらい」と感じていたため、まず愛着の湧く形を探るところから始めたのである。
ヒントになったのは、かつて無機質なハサミ用オイルを、「手に取りやすいように」とマニキュアのガラス瓶に詰め替えたときのこと。コスメに寄せたその商品が「女子力高いね」とトリマー仲間に好評を博し、道具のケアを楽しむ空気を生んだ経験があった。

そこで砥石もメイクパレットやリップスティックを思わせる形状にすれば、「かわいいから使ってみたい」と感じてもらえると考えたのだ。
電動ドリルとカッターで石を削り、ミリ単位で厚みや直径を調整しながら試作を続けた。削りすぎてひびが入り、粉塵が舞うたびに最初からやり直しになることもしばしばだったが、「見た目」と「必要な砥面積」を両立させるバランスを少しずつ掴んでいった。
かわいさを損なわず、プロの現場でも扱いやすい——そのギリギリの線を探り続けたのである。

形が固まると、小山さんはスタッフに試作品を渡し、「動画を見ながら同じように研いでみてほしい」と頼んだ。スタッフが見よう見まねで数分砥石を滑らせただけで、ハサミは問題なく切れ味を取り戻した。
「初心者でも研げるという手応えがあり、これなら世に出せると感じました」
使っていると楽しくなる砥石

〈Hidden Flavor〉の砥石──アイシャドウパレットに入った「カラーパレット砥石」、パウダーケースに入った「ラウンド砥石と修正砥石」、リップの形をした「リップスティック砥石」である。どれも淡いパステル調で、従来の無骨な砥石とは一線を画す。

基本の使い方はとっても簡単。使用する砥石をステンレスボウルの水に沈めて10分。細かな気泡が途切れたら研ぎはじめの合図。「石の芯まで水が入ると、研ぎの安定感が違う」という。

砥石にナイフを構え、峰から刃先へ滑らせる。往復は禁物だ。何度か滑らせればで黒い研ぎ汁がにじむ。

「この汁が出たのは、砥石と刃がしっかり当たって研げた証拠。淡い色にしたのは進み具合を目で感じてほしいから」

日常使いがしやすい「カラーパレット砥石」には、用途別に4種類のチップが組み込まれている。ピンク色の荒研ぎ「雅」、青色の中研ぎ「富士」、薄ピンク色の仕上げ研ぎ「桜」、白色の超仕上げ「雪」。順番に使えば荒研ぎから仕上げまでを一枚で完結できる設計だ。

基本は〈雅→富士→桜→雪〉の順番だが、刃に欠けがなければ〈富士→桜→雪〉の三工程、日常の軽いメンテナンスなら〈雪〉だけでも十分だそう。
「ラウンド砥石」は直径約五センチの円盤形で、手のひらに収まりやすい。パウダーケースに固定してナイフを研ぐもよし、しっかりと握って斧や鉈の刃研ぐもよし。

使った後はその砥石も忘れずにメンテナンス。研ぎで凹んだ面を平らに直す役目を担うのが「リペア砥石」。粒度が粗いため、ラウンド砥石やパレット砥石の面を擦り合わせるだけで再びまっすぐな研ぎ面に整えられる。「砥石を砥石で直す」サイクルが長く使うコツだとか。

最後は「リップスティック砥石」。キャップを外すと白い石が姿を現す。側面を使えばハサミの曲線や釣り針の微細なエッジまで整えられる。コスメのようにポーチへ忍ばせておけるサイズ感が、使うハードルをぐっと下げてくれる。
「アウトドアでもキッチンでもトリミングでも、研ぎを億劫にしない道具があれば刃物は必ず長持ちします。大切なのは“続けられる基準”を自分の生活リズムに合わせて決めることですね」と小山さんは語る。
“かわいい砥石”が海を渡った日
量産試作を終えたのち、市場の反応を確かめる場としてアメリカのクラウドファンディングを選んだ。プロジェクト名は “Compact Japanese Whetstones”。ページには桜や着物など和の雰囲気をあしらい、「ポケットに入る砥石」という切り口を前面に押し出したところ、公開直後から海外ユーザーの支援が相次いだ。

短期間でゴールを達成しただけでなく、最終的に支援者の7割が女性という結果になった。「見た目が可愛い」というコメントが目立ち、追加リワードとして用意していたマーブル柄チップはすぐに完売したという。
「機能が同じなら、やはりかわいい方が選ばれる。国が変わってもその感覚は共通だと実感しました。」と振り返る。
研ぎ文化を未来へ
海外での手応えを受けて「次は国内」と考えたものの、ターゲットをどこに定めるかは簡単ではない。トリマーや美容師といったプロフェッショナル向けに絞れば市場が限られる。一方、キャンプやブッシュクラフトの層に振り切ると「女子向けの砥石」という印象がニッチすぎるかもしれない。

「それでも、触ってもらえば5分で良さが分かる」と、当面はイベントや実演の場を増やす方針だという。ハサミの展示会では職人の研ぎ実演を併せ、「一生モノの道具」を守る物語を語る。アウトドア関連のフェスでは焚き火台の横でワークショップを行い、「かわいいのに本格派」というギャップを体感してもらう予定だ。
小山さんの挑戦は、道具を長く使う文化を広げる一歩にほかならない。砥石という静かな道具を通じて、「捨てられる刃物をもう一度輝かせたい」「職人の技を絶やしたくない」という思いが、海の向こうからも共感を集めた。
「一丁を一生モノに。それが環境にも、職人にも、ユーザーにもいちばん優しいんです」
その言葉どおり、小さな砥石はこれからもキッチンやキャンプサイト、トリミングサロンで静かに刃を整え、研ぎ文化の未来を支えていく。
おしまい
Makuake ページ
https://www.makuake.com/project/hiddenflavor/
コンパクト砥石シリーズ
https://hiddenflavor.shop/en
犬の和心(兵庫県芦屋市)
http://wagokoro-dogs.com/
あとがき
同じ用途の道具なら、少しでも“いいもの”を選びたい。クオリティが同等なら、心をぐっとつかむデザインを選びたい。――これは、私がキャンプ道具を選ぶときに大切にしている基準です。
お気に入りの道具は、長く大切にすればするほど思い出が重なり、そのぶん自分の中での価値も高まっていきます。今回、長く使い込んだ FEDECA のナイフを研ぎ直してみて、「好きだから使う」だけではなく、「もっと大切にずっと使いたい」という気持ちが芽生えました。パレットやパウダー型の“かわいい砥石”たちも、同じように私にとってかけがえのない存在になりつつあります。
キャンプ道具が溢れる時代だからこそ、「愛着を持って長く使う」という視点を忘れずに。こうした一つひとつの選択が、私自身にも、そして自然にも、心地よさをもたらしてくれる気がします。
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Text by 森風美
Photo by 畠中ショーン
